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2023年10月21日

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博多長浜、再び輝く!新しい屋台文化の誕生。福岡 新!屋台はじまる【フリーペーパー パコライフ 福岡版 2023年10月19日号掲載】

博多の名物ラーメンと屋台文化の融合、長浜屋台街の復活に迫ります。長浜地区、博多ラーメンの発祥の地でもありましたが、年月と共に数軒の屋台が閉じ、その活気を取り戻すため、若い店主たちが名乗りを上げました。新しく誕生した屋台は、料理も店主も個性的で、9軒が一堂に会しています。ベテランと若手がお互いに刺激し合い、街を再び蘇らせる情熱を燃やしています。

長浜屋台街は地元のみならず県外からも訪れ、新たな活気と笑顔でいっぱいです。福岡の屋台文化は、長浜屋台街の復活によって新たな光を浴びています。

福岡 新!屋台はじまる

福岡(博多)と言えば思いつくもの。やっぱり博多ラーメン。その美味しいラーメンと博多の人情を味わえる場所、それが屋台。博多の人にとって屋台はものすごく身近な存在ですが、意外と知らないことも多いですよね。今回は屋台の歴史と令和5年6月ついに復活した長浜屋台街を深堀りしていきます。

屋台の始まりを皆さんはご存知ですか?

昭和21年頃、戦後の混乱の中で、道路上などで簡易な仮設店舗を設置して行う屋台営業が誕生します。

昭和40年代、最盛期には、福岡市の屋台の数が400軒以上となったそう。昭和40年代以降、屋台の無秩序な道路使用、歩道占用の不法営業、汚染水の垂れ流しなどが常態化し、市民や周辺の固定店舗からの不満が高まり、屋台営業が社会問題になりました。

平成7年、県議会において県警本部長が「屋台営業の新規参入は原則認めない」と発言をし、「原則一代限り」のルールが確立しました。この時の屋台は約220軒。

平成8年、福岡市において「福岡市屋台問題研究会」が設置され、社会問題化していた屋台のあり方について議論され、平成12年、「福岡市屋台指導要綱」の制定・施行。

道路や公園を管理する福岡市が屋台による道路等の占用を認め、管理するための基準を明確化しました。しかし依然として様々な課題がありました。また、屋台は年々減少しており、平成22年には屋台数が約150軒まで減少し、将来的には屋台の灯が消えることが確実視されていました。

このままではいけない、「屋台を残したい」という想いから屋台を残す方向へ政策の舵を切ります。平成23年9月「屋台との共生のあり方研究会」を設置し福岡のまちの財産としての効用とルール順守について議論。平成25年7月に福岡市屋台基本条例を制定し屋台が福岡のまちと共生する存在となることを目指しました。

このような取り組みにより、屋台営業の適正化に一定のめどが立ったことから、平成28年に屋台の歴史の中で初めて「屋台公募」を実施。新規参入のみちが開かれた瞬間でした。新規屋台の中には、ラーメンやおでんを提供するオーソドックスな屋台のほか、フランス料理やジビエ料理、コーヒーなど今までなかった個性豊かな屋台も誕生しており、令和4年10月現在105軒の屋台が福岡市内で営業しています。

令和5年6月長浜屋台街がついに復活

福岡博多の屋台は「長浜・天神・中洲」と大きく3つのエリアに分かれています。その中の一つである長浜地区。皆さんご存知、長浜ラーメンの発祥の地。

ピーク時は、15軒の屋台が軒を連ね、とても活気づいていました。しかし、天神地区や中洲地区と比べると交通アクセスが不便な点、店主の高齢化などで廃業も相次ぎました。

以前のような活気を長浜にも取り戻したいという気持ちから、若い店主たちが名乗りを上げ、長浜地区に7軒の屋台が誕生。現在ある2軒と合わせて、9軒の”長浜屋台街”が復活しました。それぞれが魅力的な9軒の屋台。料理も店主も個性派ぞろい。

経験豊富なベテランが若い店主に元気づけられ、ベテランが頑張る姿に勇気づけられる若い店主の姿に、チームワークを感じます。それぞれの屋台が個性を出しつつも”長浜屋台街”の復活という同じベクトルで一体感を醸し出す。

そんな街には、オープンすると同時に老若男女が集まる。噂を聞きつけた県外からの客が笑顔で屋台をハシゴする光景もあり、新しい長浜屋台街は今まで以上に活気に満ち溢れています。

※YOKANAVI参照

福岡市 公式シティガイド YOKANABI 屋台の詳細はこちらにアクセス