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2025年2月6日

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木下大サーカスが16年ぶりに北九州へ!2025年3月23日から開催決定

チケット販売開始!木下大サーカス北九州公演、2025年3月23日開幕(フリーペーパーパコライフ 福岡県・佐賀県東部版 2月6日掲載)

木下大サーカスが、2025年3月23日から6月30日までの期間、「ジ アウトレット 北九州特設会場」にて北九州公演を開催する。今回の公演は、実に16年ぶりとなる。迫力満点の演技と圧巻のパフォーマンスを間近で楽しめるこの機会に、多くの観客が期待を寄せている。

今回の北九州公演では、木下大サーカスならではの迫力ある演目が披露される予定だ。目玉となるのは、伝統の空中ブランコや猛獣ショー、アクロバットパフォーマンス。特に、空中ブランコは、かつて「ロシア飛び」とも呼ばれた伝統演目であり、同サーカスのフィナーレを飾る人気演目の一つ。初代団長・木下唯助がロシアで学び、日本に持ち帰ったこの技術は、今もなお多くの観客を魅了し続けている。

チケットの購入や詳細情報については、木下大サーカスの公式サイトで確認することができる。世界レベルのパフォーマンスを間近で体感できる貴重な機会となるため、興味のある方は早めにチェックしておきたい。

100年以上続く木下大サーカスの歴史

木下大サーカスの創業は明治35年(1902年)。初代団長・木下唯助が大連で旗揚げし、中国やロシアを巡業したのが始まりだ。その後、空中ブランコを取り入れるなど、独自の演目を確立し、日本国内での公演を拡大していった。

大正時代には象や熊を加え、昭和の初めには馬の“金馬”と象の“若玉”が人気を博し、当時の岡山市に「金馬館」や「若玉館」と名付けられた映画館まで作られたほどである。戦時中も公演を続けたが、昭和18年(1943年)の鳥取震災では団員が犠牲となる悲劇にも見舞われた。しかし、サーカス団はその後も活動を続け、昭和28年(1953年)には出雲大社の火災時に団員が消火活動に尽力し、文化財保護委員会から感謝状を贈られるなど、社会的な貢献もしてきた。

戦後、二代目団長となった木下光三は、海外公演の道を切り開いた。昭和25年(1950年)にはハワイで初の海外公演を行い、その後も東南アジア各国や中国で公演を成功させている。特に、モンテカルロサーカスが採用していた構造を参考にし、日本で初めて丸テントを導入するなど、サーカス業界の近代化にも貢献した。

三代目・木下光宣は、舞台芸術とサーカスを融合させることで、新しい形のエンターテイメントを目指した。1981年の神戸博覧会「ポートピア’81」では、森繁久弥の総合演出のもと、アメリカン猛獣サーカスを取り入れ、空中ブランコやアクロバットショーなどを加えた新しい形のサーカスを披露。1983年には香港、1986年には中国で公演を行い、海外進出をさらに推し進めた。しかし、1991年に光宣は45歳の若さで逝去し、その志は弟の唯志に引き継がれることとなる。

四代目団長の木下唯志は、サーカスの伝統を守りながらも、新たな挑戦を続けている。国際化を視野に入れ、英語をはじめとする多言語に対応できる社員を増やし、欧米のサーカスとも積極的に交流。現在では、年間120万人以上を動員し、アメリカのリングリング・サーカスに次ぐ世界第2位の観客数を誇る。唯志の夢は、専用のサーカス・ドーム劇場の建設。地方公演と常設のサーカス場を組み合わせることで、新たな興行スタイルを確立しようとしている。

伝統と革新を融合したサーカスの未来

木下大サーカスは、100年以上の歴史を持つ日本を代表するサーカス団である。これまでの伝統を守りながらも、時代に合わせた進化を続けることで、今なお多くの観客を魅了し続けている。海外公演を成功させ、世界レベルのエンターテイメントを提供するまでに成長した同サーカスは、今後もさらなる飛躍を遂げることが期待される。

2025年の北九州公演は、その伝統と進化を間近で体感できる貴重な機会となる。16年ぶりに開催されるこの特別な舞台を、ぜひとも多くの人に楽しんでもらいたい。チケットは早めの購入をおすすめします。

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